中田翔が巨人で更生できないと断言できる3つの理由【篁五郎】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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中田翔が巨人で更生できないと断言できる3つの理由【篁五郎】

 こうした四面楚歌の状態になってきたが、それでもスポーツ新聞は今まで通りの論調が続く。

 ところで過去に問題を起こして、トレードなり自由契約になって再起をしたプロ野球選手はどれくらいいたのだろう? 筆者が真っ先に思いついたのは中村紀洋である。

 中村紀洋は2006年のオフに当時所属していたオリックスとの契約更改の席に揉めに揉めていた。左肘へ死球を受けて手術し、シーズンを棒に振った。成績もレギュラーに定着してから最低の数字を出し、反論できるような材料は何もなかった。

 球団からの提示は推定2億円から8千万円と大幅な減俸だ。ところが中村は首を縦に振らない。試合中にケガをしたのだから公傷扱いにしてほしいと要求してきた。

 その中村に世間からは「金の亡者」「ごねるな」という批判が飛ぶ。

 しかし中村は首を縦に振らずに交渉は決裂。自由契約となった。

 浪人となった中村に獲得しようという球団はすぐに現れない。マスコミもファンも「中村なんて取るところはない」といった論調ばかりであった。そんな空気を察してシーズンに入っても所属が決まらないことを覚悟した中村の前に一本の電話がかかってくる。

 「どうしても、野球がやりたいのか?」

 声の主は当時の中日・落合博満監督だった。その条件は、テスト生としてのキャンプ参加、合格しても育成選手枠である。当時の球界最高年俸5億円を得ていた男にとって屈辱ともいっていい内容だった。

 ところが中村は「やらせてください」と即答する。

 「野球がやれなくなっていたかもしれないんですよね。ホンマに、感謝の気持ちしかない。野球に、僕を拾ってくれた中日に、そしてファンに対しても……」

 そんな気持ちで再び野球に取り組み、日本シリーズMVPになるまで復活を遂げた。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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